若松駅付近を往(この記事は2009年頃の若松駅周辺です)

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html

 

 長くホームページ作りの調査と資料集めで時間を取られブログが疎かになったので久しぶりに載せようかな。

 

今回は筑豊本線の終着駅でもある若松駅付近を探索した。

 

2018年若松駅は無人駅となってしまった。寂しい限りです。

 

列車は最新型のデンチャという電車でもない蓄電池で動くハイブリット電車が走っています。

 

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        終着駅 JR若松駅

 

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 若松駅の左手の公園には若松駅操作場跡の石碑と国鉄のSL96が置かれている。

 

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 当時石炭を積み100両以上繋げて重そうに走っていたのを思い出す。セム型
 若松駅から先に1936年から1975年まで北九州市電が若松に走った。貨物専用線であった。

 

Kitaminato
            北九州市電

 

1936年に若松市営軌道として旧若松市内で開業。その後、北九州市発足とともに北九州市営軌道となった。一般の路面電車とは異なり、街の繁華街を貨物専業の貨物電車であったので旅客営業は行わなかった。若松駅と北湊方面で、商店街の中を通過することから沿線住民の苦情が絶えなかった。時代の流れで石炭輸送量の減少に伴い経営悪化に陥り、1975年に廃止された。

 

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2009_6_14_4__2
上の高架は若戸大橋である

今は大きなこの通りも最近の事で、当時は軒先をかすめるように電車が通っていた。
この写真を見ると通りの住民から苦情が出たのも判る気がするなあ。

Siden2

2009_6_14_2
Sisen1
洞海湾側から修多羅方面を撮ったものだ。
Sutara2
その反対側の修多羅の金比羅神社付近から撮ったものであろう。

Doukaiwan
皿倉山と葛島が写っています。場所はやはり修多羅から写したものか。

これらの写真はむかし若松写真展のおり、関係者の方に若松をもっとコマーシャルしてくださいと許しを得て写真を撮らせて頂いたものである。

 

路線データ

 

  • 路線距離:
      • 若松駅 - 北湊 1.3km

     

      • 中川通 - 浜ノ町 0.6km

     

    • 中川通 - 安瀬 2.1km

 

    • 軌間:1067mm

 

  • 電化区間:全線(直流600V)

 

若松線に戻ろう。

 

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若松駅から折尾方面に1キロほど来た地点であるこの先に藤ノ木貯炭場がある。
この場所にも遺構が残されている。2018年からは日本で最初の蓄電池で走る

デンチャと言う列車が走っていますよ。ほかの車両は一切走っていません。

 

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第2船溜と書いてあった。手前が洞海湾であるため係留場所が近くに在ったのであろうか。

 

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 係留する杭跡か?左は洞海湾である。

 

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 洞海湾に流れ込む川。

 

 

 

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         向こうは若戸大橋

 

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古い線路の跡、左の2本は現役の若松線(筑豊本線)

 

16_2

 

2009_6_14_5
藤ノ木貯炭場は前回のブログで紹介済みの藤ノ木駅です。

 

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奥洞海駅です。奥洞海駅の次の駅二島駅を過ぎ、海岸沿いを行くと大きな橋が架かっています。

 

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上が奥洞海橋。
向こうの白い橋は若松線である。若松線の白い橋の左手にすばらしいレンガ造りの橋が現役として残されていた。

 

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素晴らしくきれいな橋であった。

 

                    2009-6-7

 

2009-6-14

 

今日は若松の高塔山の佐藤公園で佐藤慶太郎(http://uninaturr.net/z-satoukeitarou.html)の胸像除幕式がAM10時から行われた。

 

2009_6_14_1
右から佐藤慶太郎伝を出版した筑波大教授斉藤泰嘉氏、大分市長、北橋北九州市長、胸像、佐藤慶太郎のご子息と奥様、佐藤慶太郎の寄付で野口病院(http://www.noguchi-med.or.jp/index.htm)を建てた野口雄三郎の三代目院長野口 志郎氏と奥様である。

 

Keitarou1
Keitarou2
佐藤慶太郎が寄付をした時の記念写真である。
写真はむかし若松写真展

 

 

2010年6月 8日 (火)

今流行の工場廃墟探索1(この記事は2009年頃ですが2020年現在も在るようです)

先日何気なく工場を車から見ていると何か怪しげな廃墟を見つけました。

 

2020年7月1日現在未だに存在いたします。

                  早速探索開始


1_3

       場所は矢印の右がJR八幡駅で中央の水色の建物の右です。

Img_3307

2

      トンネル上にトロッコの軌道のような物が見えます。

 

Img_3299_3   


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           ハエたたきみたいな懐かしい電線

           八幡製鉄所の跡らしい。
           30年前ぐらいまで使用されていた工場だ。

 

Img_3305_3

 

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       工場の事務所に入る従業員の階段だろう。

 

Img_3296

 

Img_3303_2

Torokko

  左上に見えるのはトロッコのレール跡だろうか

本編終わり。

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html
2010年7月 新サイトをつくりました。こちらも良かったら見てください
面白くありませんが、筑前芦屋町に興味がある人対象かな・・・・
http://asiya.kasajizo.com/
 

2009年5月 9日 (土)

国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記ー2回目訪問の追加(2009年頃)

 

 

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 
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2010年7月 新サイトをつくりました。こちらも良かったら見てください
面白くありませんが、筑前芦屋町に興味がある人対象かな・・・・

http://asiya.kasajizo.com/
2014年5月18日追加 芦屋軽便鉄道の大正11年6月8日付のダイレクトメール発見しました。http://wakinosuisei.web.fc2.com/を覗いたら見ることができます。

2015年4月大統社工業塾は蘆屋町にあった事が判明しました。

 

1974

 

1974年藤ノ木貯炭場付近(ガントリークレーンはすでに撤去されているようだ)

 

S47_tyotanba

 

昭和47年 貯炭場付近の地図

 

正月に訪問して右側の探索ではあまり成果が無かったので、今回は左側に回り込もうと勇んで来て見る、草が刈られて通り易くなっていた。右側と違い、いろんな遺構が残っている。

 

Img_2455

 

 

 

キハ47 若松方面から藤ノ木に向かっている。前方に岬の山(はなのやま)公園が見える。
新記事:2010年7月4日放送があったドラマ犬のおまわりさん(TBS系列)のロケ地になったのが、この岬(はな)の山公園である。

 

 

 

Img_2458

 

 

 

存続が危ぶまれるキハ31も来てくれた。

 

Img_2454

 

この土地を落札した業者が判明

 

2013年5月時点には住宅の分譲がはじまったようだ。
2014年今では老人福祉施設などが建っています。
2020年に行った時にはスーパーのコスモスや住宅が海岸沿いに立っていました。

 

※2011年には岸壁まで道路ができ整地されてしまい、今では面影もなくなってしまった。

 

Img_2453

 

 

 

今回遺構の第一番目は側溝に感激

 

Img_2422

 

 

 

亀が生息していた。

 

Img_2423

 

 

 

やった~と抑えきれないくらい感動したレール。

 

Img_2426

 

Img_2425

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガントリークレーンの線路跡かと思ったが、ただの橋の跡らしい)

 

Gantorikuren_2 

 

藤木貯炭場のガントリークレーン

 

Img_2424

 

 

 

石炭の屑が残っていた。持ち帰る。

 

 

 

Img_2432

 

Img_2431

 

Img_2433

 

 

 

 

 

太い木と鉄の滑車で作られた柵らしき物が残っている。

 

 

 

Img_2434

 

次に感動したレール。

 

東洋一のガントリークレーンに使われた物なのか?残念だがただのトロッコ用のレールらしい。

 

岸壁に着いた。

 

 

 

Img_2445 

 

今でも艀ようの杭は使用されている

 

Img_2439

 

下の写真を見ると判るが、当時洞海湾岸壁に高さ6メートル、全長1050メートルの藤ノ木桟橋が設けられていた、このセメントの道路部分は列車が通るガード下だった。

 

Photo_3

 

Photo_2

 

当時の藤ノ木貯炭場

 

Img_2435

 

 

 

この1番と書かれている物は船から判りやすい様に取り付けた物であろうか

 

バスケットのゴールみたいな格好をしている。

 

Img_2441

 

 

 

岸壁に沿って同じものが順番号で並んでいた。

 

この右側には当時鉄道の線路が5メートルの高さで敷設されていた。ガントリークレーンで列車から降ろして船積みしていたのだろう

 

Img_2447

 

Img_2451

 

土管ではなくビニール管がひとつだけ在った。終わりの頃に修理したものか?

 

Img_2448_2 
振り返るとキハ47が若松方面に向かっていた。
新記事:2010年7月4日放送があったドラマ犬のおまわりさん(TBS系列)のロケ地になったのが、このバック右に見える岬(はな)の山公園である。

 

1947

 

1947年の貯炭場はクレーンは2台有るのが見える。

1961

 

これは1961年の貯炭場であるが2台あったガントリークレーンは左に1台有るのみに見える。1回目に訪問したときにおじいさんが言っていた台風でクレーンが倒れた話を思い出す。

1966 

 

1966年にはクレーンの位置が若松よりに移動している。

 

1968

 

1968年の貯炭場。やはり1台である。

 

一番最初の写真は1974年の貯炭場であるがクレーンはすでに撤去されている。

 

                             2009-2-8

 

 

2009年3月 1日 (日)

日本炭鉱第6竪坑(若松区蜑住)探索記

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今回は直接鉄道とは直接関係は無かったが蜑住団地の近くに在ったと聞いていた日本炭鉱第3坑第6竪坑を探しに行く。二島坑と坑道で繋がっていた為の入昇坑として坑夫や機械の搬入口であったようだ。昭和39年の開始である。

 

日本炭鉱第3坑第6竪坑のだいたいの位置である。
6koutizu

 

 

 

下の航空写真は日本炭鉱第3坑第6竪坑である。蜑住団地は見えていないが北側(上)にある。

 

 

 

Amazumi_4

 

Img_2575

 

 

 

 

 

A地点 当時の門と柵の鉄枠が残っている。会社名ははずされていた。

2018年7月に久しぶりに行きましたがあまり変わって内容でした。

 

 

 

Img_2564

 

B地点

 

柵のコンクリートの台で民家の畑との境にも柵が張り巡らされていたのだろう 。今は建設会社の資材置き場になっている。

 

 

 

Img_2574

 

   

 

C地点 竪坑跡のコンクリートの土台

 

Img_2566

 

Img_2573

 

 

 

 

 

竪坑にはH鋼でふさがれていた

 

Img_2570

 

 

 

いろんなものが入って埋められている様子だった。

 

Img_2565

 

 

 

全体の様子

 

                        2009年2月

 

 

 

おまけ写真

 

先日、東郷駅と東福間駅間の撮影スポットの踏み切り付近の出来事です。

 

狸はすでに息絶えてたみたいです。ソニックの目が悲しそうでしょ。

 

直ぐJRには通報したんですが・・・・。

 

Photo

 

関係ない写真ですが・・・・・・

2014年5月23日追加;

 

この写真を見てください。
住宅の調整池に固い岩盤がありそのままの状態で池を作るしかなかったのである。

 

Egawa1

 

この写真は今開発中の江川から見た学園台の方角の住宅地の調整池です。
そこで奈良から平安時代の頃、江川がまだ航路として重要だった時代の梶島という岩の話です。これは上から2番めの写真で一番下の真ん中ほどにある緑の茂みです。梶島は緑の茂みから東側50mほどが岩盤だったと言われ、その当時梶島付近で急激に洞海湾の湾の形態だった江川が両サイドの岩盤で狭くなって遠賀川方面へ抜けていました。
梶島付近で洞海湾と遠賀川の汐分け位置であり、干潮になると船は通れなくなるほど浅くなりました。それで、この大きな岩にくいを打って船の舵を繋いでいたと言う事で梶島と言われたのであろう。
近くには江川、唯一の橋が架かっていました。これを芦屋町にあったといわれている垂間野橋は、実はここではないかと推測する考古学者も(竹中岩夫氏)居られます。
興味がある方は「北九州の古代を探る」竹中岩夫著を見てください。また私はその本をPDFにいたしましたのでお分けいたします。

2009年2月23日 (月)

国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
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   国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記

 2009年13日 妻の実家である若松区に新年の挨拶に出かける。 実家の挨拶もほどほどに済ませ一人で前々から探索してみたかった旧国鉄藤ノ木貯炭場跡地に向かった。

Img_2193

 貯炭場跡地から八幡東区の皿倉山を望む

 貯炭場は建物としては何も見当たらないが当時の広さを偲ばせる空き地として残っている。 今は若松線沿いに柵が張り巡らされていた。柵には不動産関係の会社の進入禁止の立札があって入れない。 それで貯炭場の横からでも写真を撮りたいと若松線沿いを洞海湾に向かって、右に回りこみ、 貯炭場と住宅地を隔てる川に沿って河口へと下った。川の対岸は当時のままの様子で、 幾つもの貯炭場の水を掃かすためと思われる土管が朽ち果てた状態で突き出ている。河口から50メートルほどの川の真ん中に2本のコンクリートの支柱が立っている。 係留に使われたのか、 或 いは当時そこに橋が架かっていて、 その支柱なのか定かではない。

Img_2461

川の中の柱

Img_2462

 河口付近まで下ると貯炭場の長い岸壁が見えてくる。 石炭船の係留に使われたであろうセメントの四角い係留杭が何本も並んで残っている。唯一当時を偲ばせる遺構である。 今でもその係留杭には何艘か船が係留していた。

2009-6-20 上の写真の杭らしき物は橋の支柱であったと判明する。

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2009-7-26 家内の実家で珍しい写真を見つけた。

    国鉄若松工場横にあったグランドでの写真らしいが、後ろになんとガントリークレーンが移っている。

Gurand

古き良き国鉄の時代です。ここまで追加  2009-7-29

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 貯炭場の中は何年もの間の雑草で遠くからはどのような状態になっているのか何も判らない。

 納得のいかない写真を撮り終えて、河口から離れ、戻る途中、貯炭場跡を見ると、 犬を連れたおばさんが散歩しているのが見える。これは何処か入れる所があるんだと思い、今来た若松線沿いに戻り、 探すと1 所柵の金網が大きく開けられた場所があった。

Img_24482_3

中に入って若松線側を見たところ。 後ろを振り返るとちょうどキハ47系の2両編成で通った慌ててシャッターを切る。

 おそるおそる中に入り、 何か遺構らしきものは無いものかと探し回ったが、 雑草に阻まれ思うように動き回れなかった。

中ほどに当時のものと思われる柵の鉄の棒が1本朽ちて立っていたくらいだ。

Img_2195

フェンス跡らしい鉄の杭が残っていた。

Img_2191_2 

Img_2192_2 

当時のものと思われるはしけの杭が海岸沿いに並んで今でも使用されている。

諦めきれず草むらの中を探すが何年もの雑草の朽ちた層で下地も見えにくい。

しばらくして先ほどのおばさんではなく、老犬(20)を連れた散歩中の老人が、この草むらの道を歩いてきたので、 貯炭場の事を聞いてみた。

 その方は偶然にも当時若松機関区で働いておられた人であった。

 「ここに貯炭場があったそうですね。」

 「はい、当時はすごかったよ。台風の時にはクレーンが倒れたりもしたなあ。」 と貯炭場のことも良く覚えておられた。

 当時良くこのあたりで映画の撮影があったそうで、その時の様子を話してくれた。

 その話によると石炭は炭鉱によって品質が違うので一緒に山積みは出来ない。 たとえば三菱の炭鉱から運ばれて山積され、船に積み込んだ後、 他の会社たとえばニッタンの石炭が入るまでは空き地になるそうでその間に映画が撮られていたそうです。

 石炭が山積みのときは戸畑や八幡の山並も見えないくらい高く積んでいたそうだ。 そして若松機関区の話になると熱を帯びて話してくれました。

 若松機関区は当時車両は若松線、上山田線、室木線、香月線を担当していた。

当時の若松駅は石炭の関係で日本有数の売上を有しており、 博多駅の駅長が若松駅に栄転と呼ばれるくらい格が在ったそうだ。

 私はある疑問を投げかけた。それは、 貯炭場の空き地になって何年も立つのに何も立っていないのが不思議であった。それを尋ねてみた。

 おじいさんは、この土地は若松線を境に埋め立てられた土地で地盤が良くない。 その為この土地を使用するには充分な杭打ちして整地しないと使えない為中々売り手が付かないのだ。 若松線より山側は直ぐに買い手がつき、この土地は価格が10分の1ほどしかしないのにそれでも売れないと言っておられた。 確かに足元の地盤を見ると頼りない地盤が感じ取れた。

最近この土地は売却が済んだらしい。次のサイトのPDFの10ページに出ていた

http://www.jnrsh.jrtt.go.jp/92sisanshobun/070717_07/07-05-01.pdf

 貯炭場跡地の側に若松警察署があるが、その地に、国鉄の若松工場があった。 おじいさんの話では若松工場は当時、貨車専門の工場であったそうです。その若松工場も昭和60年に閉鎖となった。

Tansya

当時には若松駅から北湊まで町の商店街の中を電車が走っていた

 そんな話をしながら跡地の外に出て私としてはもっとお話を聞きたかったが別れた。その足で妻を迎えに帰る。

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2018年ここはもう住宅地になっています。

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