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2009年1月29日 (木)

嘉穂信号場探索(この記事は2009年頃です)

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html

 

2010年7月 新サイトをつくりました。こちらも良かったら見てください
面白くありませんが、筑前芦屋町に興味がある人対象かな・・・・

http://asiya.kasajizo.com/ 


追記:2009-6月に訪問した時にはすでに嘉穂信号場は全て撤去されていました。
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NHKのテツ旅で嘉穂信号場をやっていたがその信号場跡地が工事で無くなりつある事を知り急いで訪問することにする。

 

 

嘉穂信号場跡地

 

 

 

 

 

Img_2281

 

Img_2283

 

大隈駅方 面の様子

 

 

 

Img_2275

 

この嘉穂信号場跡左手に漆生線が別れて行った

 

 

 

Img_2282

 

下山田方面の景色
思ったより工事は進んでいた。

 

信号場内部の様子

 

信号場には柵が張られているので工事の人に訳を話し撮影のため中に入らせてもらった。工事の人は、快諾してくれたが、何かの調査ですか? と聞かれたので、 いいえ趣味でと答えると少しあきれた表情が見えた。めげずに撮影開始する。

 

 

 

Img_2275_2

 

嘉穂信号場

 

 

 

 

 

 

Img_2258

 

列車の進行制御に使われたものだろう。

 

 

 

Img_2260

 

駅員が使用したであろう長椅子が放置されている。

 

 

 

Img_2259

 

 

ドアの向こうは仮眠をとるベットが置かれ、トイレと台所が在った。

 

信号場付近の放置設備

 

当時を偲ばせる物が所々に点在した在った。

 

 

Img_2270

 

 

 

 

 

 

Img_2271

 

大隈方( 面)と書かれている。

 

Img_2274

 

 

 

 

 

 

 

Img_2273

 

踏み切り制御用のボックス

 

 

 

Img_2284

 

 

当時の電信柱

 

 

 

Img_2291

 

 

信号場横の踏み切り跡

 

Img_2286

 

 

 

 

 

 

 

Img_2288

 

 

 

Img_2289

 

その巻き上げ機(日吉巻揚踏切と書いてあった)の制御箱漆生線との分岐店付近

 

Img_2277

 

 

 

 

 

 

 

 

Img_2278

 

列車に使われたものだと思われる電気転テツ機と書かれた

 

転テツ機とは 「転轍機」と書きます。轍はわだち(車輪の跡)
のことで、装置で列車運行上、 重要な役目をもっています。
かつては係員が手で転てつ機を動かしていました。
路線を変える装置です。 つまり列車の通り道を切り替える
(日本民営鉄道協会の民鉄用語辞典) より

 

 

 

 

 

 

Img_2292

 

工事中に取り除かれた当時の レールが山積みされていた

 

 しばらく下山田駅方面に歩いてみた。

 

Img_2293

 

 

 

 

Img_2294

 

 

今も残る信号

 

 そこに散歩中のおばあちゃん(80歳)が来たので、ここにあった炭鉱の事を聞いてみた。 偶然にも近くの当時、 古河炭鉱で旦那さんが働いておられ、この日吉炭鉱の炭住とは隣組だったらしく、付き合いがあったそうだ。 それで、いろいろ尋ねた。

 

 

おばあちゃんの話による写真の説明 

 

 

 

Kousyuuyokujyou

 

      

 

写真は炭住の共同浴場跡で20メートル先に見える古びた家屋は当時鍛冶屋があったそうだ。浴場から山側には幹部クラスの住宅があり、 お風呂場も別にあり鍛冶屋の左側の階段がある上のほうにあった。

 

 

 

Img_2301

 

写真は炭住の共同浴場跡で線路側に向かって左が男湯

 

Img_2303

 

当時からあった購買部と炭住があった場所。浴場側から線路越しに見る。

 

しばらく歩くと橋があり、その下を上山田線が通った。

 

橋を渡り購買部の方へ歩き下山田方面へ歩くと

 

 

 

Img_2297

 

空き地がありここには当時ため池があった。左手が上山田線、右に元炭住が見える。

 

 

 

Img_2305

 

このあたりに踏切があり当時トラックとの列車事故が起こりSLが横転し機関士が下敷きでなくなったそうです。

 

 

 

Img_2299

 

説明してくれたおばあちゃんと日吉炭鉱の炭住の雰囲気が残る払い下げがあったと思われる住宅地。右手が線路跡。

 

 

 

Img_2296

 

この橋の下を列車が走った。

2020年頃には整備が進み跡形もないようです。

 

2009年1月17日撮影

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