« 室木線跡をたずねて(この記事は2009年頃です) | トップページ | 国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記 »

2009年2月10日 (火)

上山田線跡探索記

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html

 

筑前芦屋町に興味がある人は見てね
http://asiya.kasajizo.com/

 

上山田線跡探索記

 

Img_2341
飯塚駅付近の古い民家

 

Img_2343
当時の信号がぽつんと遺されていた。

 

Img_2339
飯塚駅側から平恒方面を見ると3つ並んだ住友石炭鉱業忠隈炭鉱のボタ山が見える。

 

 

 

Img_2347
飯塚駅から嘉穂信号場へむかう。上山田線の路線は飯塚駅から出ていた。

 

 

 

Img_2352
その上山田線の0キロポストがかろうじて残されている

 

 

 

Img_2335
飯塚駅から1キロ来た踏切前のこのあたりから路線が分かれた。 その国鉄の敷地を示す杭が数本見える

 

 

 

Img_2330
踏切から0.8キロ弱の道路横に平恒駅がある

 

Img_2331

 

Img_2332
平恒駅のホームがそのまま残されている

 

 

 

500mくらい来ると三菱炭鉱の巻上機跡。巨大である

 

 

 

Img_2319

 

 

 

Img_2328

車を走らせること5キロちかく

 

Img_2307 
Img_2313
平恒駅駅から5キロほど来ると臼井駅だったところに着く。 今はホームに花壇が作られていた

 

 

 

Img_2309
臼井駅の国鉄敷地を示す杭が残されていた


Usuieki
昭和44年8月の臼井駅のC11の下りの上山田方面へ向かう列車だろう。
向こうの建物は麻生産業吉隈炭坑です。(2013/10/29正しい建物の名前を知らせていただく)
     門鉄の九州の蒸気機関車より


Img_2315
臼井駅から2.5キロくらいで大隈駅だった場所に着く。 今は公園とバス停になって整備されていた

 

 

 

Img_2317
公園内に当時の線路がモニュメント的に残されている

 

 

 

Img_2281
それから1キロほどで嘉穂信号場に着いた。上山田線も20年という歳月が流れもう気付かずに通り過ぎてしまう位ひっそりと佇んでいた

2020年7月頃久しぶりに行ってきましたがきれいに整備され跡形もありませんでした。
 

 

 

« 室木線跡をたずねて(この記事は2009年頃です) | トップページ | 国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記 »

鉄道遺構 [1]」カテゴリの記事

コメント

懐かしいです。
昭和38年4から昭和41年3月まで毎日大隈駅からSLに乗って高校に通学していました。高校卒業して愛知県の自動車メーカーに就職した時も大隈駅から出発しました、現在は引退して飯塚に住んでいます。

非常になつかしく見させていただきました。母の実家が、山田市下山田にありましたので
約60年ほど前ですが、1年間下山田の幼稚園に通園し、
その後もたびたび遊びに行った思い出の地です。
廃線になったことは聞いていました。今は、いとこがそちらで生活をしています。
数年に一度は、遊びに行きたいと思っています。
直近では、2007年に行ってまいりました。

abe hiroharuさん
こんばんは。2009年の1月に道路拡張で嘉穂信号場跡もすっかり無くなってしまいました。工事が始まる時は日曜日毎に出かけて写真を撮ったものです。飯塚の炭住も次々と取壊されています。時代の流れで仕方がありませんね。懐古主義と会社のものに笑われていますよ。それじゃ、お元気で。

けんたんさん
はじめまして、懐古主義大好きです。
文面からしてそちらにおすまいのようですね。
私」は子供のころでしたが下山田の母の実家の前をSL通ていたのを
はっきり覚えています。今度そちらに行く折には上山田線をとどって見たいと、
思います。けんたんさんもお体に気をつけ元気にお過ごしください。

やまちゃんさんへ
41年3月卒業とのことですので、私より若干若いようですね
大隈には母はの実家の田んぼがありましたの連れて行ってもらったことがありました。

いまは私も年金生活者です、何年かに一度はそちらに遊びに行っています。
家の前をSLが走っていたのを思い出します。上山田線も今では廃線になりさみしい思いです。
お体に気をつけ元気にお過ごしください。

遠くにお住まいなのですか?。大隈駅跡は公園になっていますので今でも判りやすいのですが、嘉穂信号場はきれいさっぱり整地され立派な道路が走っています。ん~ん・・・さみし~~。

昭和44年8月の臼井駅のC11の下りの上山田方面へ向かう列車だろう。
向こうの建物は旧明治炭鉱平山鉱業所の選炭場だろう。
     門鉄の九州の蒸気機関車より

向こうの建物は、捕虜問題で、国会で問題になった、麻生の吉隈炭坑の建物です。
写真では、見にくいのですが、麻生産業吉隈炭坑と書いてあります。
坑口は、桂川町ですが、碓井町と隣接してましたので、積み出しは、臼井駅からでした。
炭坑の閉山後も建物は、しばらくは、残ってました。自転車でSLの写真を撮りにいってましたので。

THさん
ブログを見ていただきありがとうございます。
貴重な情報をいただきありがとうございました。下りか上りかも判らないまま、不確かな情報を書いていたようです。早速書き換えることにいたします。また何か私が知らないような情報がありましたらお知らせください。大変ありがとうございました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上山田線跡探索記:

« 室木線跡をたずねて(この記事は2009年頃です) | トップページ | 国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記 »

無料ブログはココログ
2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31