« 上山田線跡探索記 | トップページ | 日本炭鉱第6竪坑(若松区蜑住)探索記 »

2009年2月23日 (月)

国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html
2010年7月 新サイトをつくりました。こちらも良かったら見てください
面白くありませんが、筑前芦屋町に興味がある人対象かな・・・・
http://asiya.kasajizo.com/ 

   国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記

 2009年13日 妻の実家である若松区に新年の挨拶に出かける。 実家の挨拶もほどほどに済ませ一人で前々から探索してみたかった旧国鉄藤ノ木貯炭場跡地に向かった。

Img_2193

 貯炭場跡地から八幡東区の皿倉山を望む

 貯炭場は建物としては何も見当たらないが当時の広さを偲ばせる空き地として残っている。 今は若松線沿いに柵が張り巡らされていた。柵には不動産関係の会社の進入禁止の立札があって入れない。 それで貯炭場の横からでも写真を撮りたいと若松線沿いを洞海湾に向かって、右に回りこみ、 貯炭場と住宅地を隔てる川に沿って河口へと下った。川の対岸は当時のままの様子で、 幾つもの貯炭場の水を掃かすためと思われる土管が朽ち果てた状態で突き出ている。河口から50メートルほどの川の真ん中に2本のコンクリートの支柱が立っている。 係留に使われたのか、 或 いは当時そこに橋が架かっていて、 その支柱なのか定かではない。

Img_2461

川の中の柱

Img_2462

 河口付近まで下ると貯炭場の長い岸壁が見えてくる。 石炭船の係留に使われたであろうセメントの四角い係留杭が何本も並んで残っている。唯一当時を偲ばせる遺構である。 今でもその係留杭には何艘か船が係留していた。

2009-6-20 上の写真の杭らしき物は橋の支柱であったと判明する。

---------------------------------------------------

2009-7-26 家内の実家で珍しい写真を見つけた。

    国鉄若松工場横にあったグランドでの写真らしいが、後ろになんとガントリークレーンが移っている。

Gurand

古き良き国鉄の時代です。ここまで追加  2009-7-29

-----------------------------------------------------

 貯炭場の中は何年もの間の雑草で遠くからはどのような状態になっているのか何も判らない。

 納得のいかない写真を撮り終えて、河口から離れ、戻る途中、貯炭場跡を見ると、 犬を連れたおばさんが散歩しているのが見える。これは何処か入れる所があるんだと思い、今来た若松線沿いに戻り、 探すと1 所柵の金網が大きく開けられた場所があった。

Img_24482_3

中に入って若松線側を見たところ。 後ろを振り返るとちょうどキハ47系の2両編成で通った慌ててシャッターを切る。

 おそるおそる中に入り、 何か遺構らしきものは無いものかと探し回ったが、 雑草に阻まれ思うように動き回れなかった。

中ほどに当時のものと思われる柵の鉄の棒が1本朽ちて立っていたくらいだ。

Img_2195

フェンス跡らしい鉄の杭が残っていた。

Img_2191_2 

Img_2192_2 

当時のものと思われるはしけの杭が海岸沿いに並んで今でも使用されている。

諦めきれず草むらの中を探すが何年もの雑草の朽ちた層で下地も見えにくい。

しばらくして先ほどのおばさんではなく、老犬(20)を連れた散歩中の老人が、この草むらの道を歩いてきたので、 貯炭場の事を聞いてみた。

 その方は偶然にも当時若松機関区で働いておられた人であった。

 「ここに貯炭場があったそうですね。」

 「はい、当時はすごかったよ。台風の時にはクレーンが倒れたりもしたなあ。」 と貯炭場のことも良く覚えておられた。

 当時良くこのあたりで映画の撮影があったそうで、その時の様子を話してくれた。

 その話によると石炭は炭鉱によって品質が違うので一緒に山積みは出来ない。 たとえば三菱の炭鉱から運ばれて山積され、船に積み込んだ後、 他の会社たとえばニッタンの石炭が入るまでは空き地になるそうでその間に映画が撮られていたそうです。

 石炭が山積みのときは戸畑や八幡の山並も見えないくらい高く積んでいたそうだ。 そして若松機関区の話になると熱を帯びて話してくれました。

 若松機関区は当時車両は若松線、上山田線、室木線、香月線を担当していた。

当時の若松駅は石炭の関係で日本有数の売上を有しており、 博多駅の駅長が若松駅に栄転と呼ばれるくらい格が在ったそうだ。

 私はある疑問を投げかけた。それは、 貯炭場の空き地になって何年も立つのに何も立っていないのが不思議であった。それを尋ねてみた。

 おじいさんは、この土地は若松線を境に埋め立てられた土地で地盤が良くない。 その為この土地を使用するには充分な杭打ちして整地しないと使えない為中々売り手が付かないのだ。 若松線より山側は直ぐに買い手がつき、この土地は価格が10分の1ほどしかしないのにそれでも売れないと言っておられた。 確かに足元の地盤を見ると頼りない地盤が感じ取れた。

最近この土地は売却が済んだらしい。次のサイトのPDFの10ページに出ていた

http://www.jnrsh.jrtt.go.jp/92sisanshobun/070717_07/07-05-01.pdf

 貯炭場跡地の側に若松警察署があるが、その地に、国鉄の若松工場があった。 おじいさんの話では若松工場は当時、貨車専門の工場であったそうです。その若松工場も昭和60年に閉鎖となった。

Tansya

当時には若松駅から北湊まで町の商店街の中を電車が走っていた

 そんな話をしながら跡地の外に出て私としてはもっとお話を聞きたかったが別れた。その足で妻を迎えに帰る。

--------------------------------------------------------------------------------

2018年ここはもう住宅地になっています。

« 上山田線跡探索記 | トップページ | 日本炭鉱第6竪坑(若松区蜑住)探索記 »

鉄道遺構」カテゴリの記事

コメント

 はじめまして、若松探検隊、若松探検隊新館というホームページ、ブログを個人で運営している中山と申します。あなたのホームページを興味深く見せて頂いています。その知識の深さに感銘を受けています。
 ところで大変厚かましいお願いをさせて下さい。、今ブログの方に「火野葦平散歩道マップに沿って歩くというコーナーがありまして、もうすぐ「市営貨物電車跡」を取り上げる予定なのですが、私は掲載可能な市営電車の写真を持っていません。もしよければあなたのお持ちの市営電車の写真を1枚で結構ですから使用させて頂けませんでしょうか。
 どうかよろしくお願いします。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 国鉄藤ノ木貯炭場跡地訪問記:

« 上山田線跡探索記 | トップページ | 日本炭鉱第6竪坑(若松区蜑住)探索記 »

無料ブログはココログ
2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31