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2009年3月 1日 (日)

日本炭鉱第6竪坑(若松区蜑住)探索記

芦屋町を走った芦屋軽便鉄道を開設しました。
 
http://wakinosuisei.web.fc2.com/index.html
2010年7月 新サイトをつくりました。こちらも良かったら見てください
面白くありませんが、筑前芦屋町に興味がある人対象かな・・・・

http://asiya.kasajizo.com/ 

 

今回は直接鉄道とは直接関係は無かったが蜑住団地の近くに在ったと聞いていた日本炭鉱第3坑第6竪坑を探しに行く。二島坑と坑道で繋がっていた為の入昇坑として坑夫や機械の搬入口であったようだ。昭和39年の開始である。

 

日本炭鉱第3坑第6竪坑のだいたいの位置である。
6koutizu

 

 

 

下の航空写真は日本炭鉱第3坑第6竪坑である。蜑住団地は見えていないが北側(上)にある。

 

 

 

Amazumi_4

 

Img_2575

 

 

 

 

 

A地点 当時の門と柵の鉄枠が残っている。会社名ははずされていた。

2018年7月に久しぶりに行きましたがあまり変わって内容でした。

 

 

 

Img_2564

 

B地点

 

柵のコンクリートの台で民家の畑との境にも柵が張り巡らされていたのだろう 。今は建設会社の資材置き場になっている。

 

 

 

Img_2574

 

   

 

C地点 竪坑跡のコンクリートの土台

 

Img_2566

 

Img_2573

 

 

 

 

 

竪坑にはH鋼でふさがれていた

 

Img_2570

 

 

 

いろんなものが入って埋められている様子だった。

 

Img_2565

 

 

 

全体の様子

 

                        2009年2月

 

 

 

おまけ写真

 

先日、東郷駅と東福間駅間の撮影スポットの踏み切り付近の出来事です。

 

狸はすでに息絶えてたみたいです。ソニックの目が悲しそうでしょ。

 

直ぐJRには通報したんですが・・・・。

 

Photo

 

関係ない写真ですが・・・・・・

2014年5月23日追加;

 

この写真を見てください。
住宅の調整池に固い岩盤がありそのままの状態で池を作るしかなかったのである。

 

Egawa1

 

この写真は今開発中の江川から見た学園台の方角の住宅地の調整池です。
そこで奈良から平安時代の頃、江川がまだ航路として重要だった時代の梶島という岩の話です。これは上から2番めの写真で一番下の真ん中ほどにある緑の茂みです。梶島は緑の茂みから東側50mほどが岩盤だったと言われ、その当時梶島付近で急激に洞海湾の湾の形態だった江川が両サイドの岩盤で狭くなって遠賀川方面へ抜けていました。
梶島付近で洞海湾と遠賀川の汐分け位置であり、干潮になると船は通れなくなるほど浅くなりました。それで、この大きな岩にくいを打って船の舵を繋いでいたと言う事で梶島と言われたのであろう。
近くには江川、唯一の橋が架かっていました。これを芦屋町にあったといわれている垂間野橋は、実はここではないかと推測する考古学者も(竹中岩夫氏)居られます。
興味がある方は「北九州の古代を探る」竹中岩夫著を見てください。また私はその本をPDFにいたしましたのでお分けいたします。

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鉄道遺構」カテゴリの記事

コメント

MacのOS-XのSAFARIで見れました。
これだけ、よく調べられて撮影されたものだと感心しました。
いつの間に、こんなことをされているのですか?しかし、色々と博識ですね。
これからも頑張って取材をしてください。その内に自費出版もできますよ。
時々、見せていただきます。

長崎の軍艦島の話から、近くに竪坑のあとがあったのを思い出し、近くの炭鉱 日本炭鉱高松に行き着き頭の中がつながった。
三好徳松 折尾高女 オランダ交流 ニッタン高松 日産化学 鮎川義介 吉田法晴 水巻町図書館 殉職者の碑 ぼた山 http://members.jcom.home.ne.jp/nittan/nittan-rokutate.htm
にもあります。同じ方?
ちなみに、第六竪坑です。未完の第七竪坑 有毛 末松を探してみます。
三十年まえくらいに、落盤事故で、前の田んぼにヘリコプターが下りてきたのを覚えています。

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